« ちょうげんぼ | トップページ | 春色オーダー »

2016年3月11日 (金)

3.11

東日本大震災から5年。

5年前の14:46、経験したことのない揺れに震えるまりんを左手に抱き、右手は倒れそうになるテレビを支えました。

地震直後は携帯電話が通じず家族や親戚の安否確認に車を走らせましたが、途中でガソリンのエンプティマークが点き、少し遠い親戚までは行くことができませんでした。

日が暮れて、信号の明かりも大型店舗の明かりもない真っ暗な町に、遠くから車のライトだけが煌々としていた不気味な風景が忘れられません。

24時間以上の停電、携帯電話のテレビで見た津波の映像は、現実ではなく映画の1シーンを見ているような気分でした。

ガソリンスタンドへ行くと何十台という列、3時間半待ちでその間にガソリンがなくなるんじゃないかと冷や冷やしました。

その後も何週間か、何時間待ちという状態が続き、ひどい時は夜中から路上駐車をして並ぶ人も。イライラしてスタンドのスタッフに暴言を吐く心無い人もいました。

スーパーでは停電でレジが使えないので、お店の外で手計算で在庫食品を販売してくれていました。これがどんなにありがたかったか。

電気が通ってからも、スーパーは陳列されていないスパンが多くあり、ビールのスパンが埋まるのに時間がかかった気がします。

仙台には、友人や知人が居ます。

家の中はぐちゃぐちゃで車で寝たりお風呂に入れないという友人の話を聴き、足りない生活物資を運びたかった。

だけど給油制限で往復出来るだけのガソリン確保が難しい上、おっちょこちょいの自分が何かあって迷惑をかけるのがこわくて動かない方がいいと自粛したのを未だに後悔しています。

連日放送される悲惨なニュースに気持ちも同調してしまい、食欲もなく眠れなくなりました。

あまりにもそれがひどくて、「心のバランスを崩さないためのケア」セミナーも受講したくらいでした。

イベントの類も自粛、日本全体が元気のないときだったと思います。

津波の被害に合った太平洋側へ行く気になったのは、その9ヶ月後です。

何もなくなったその土地を、正確に言えば残された家の基礎やヘドロが入ったままの建物を、海の向こうへ消えていった木のまばらな海岸林を、見る勇気がなかったんですね。

友人の車の助手席で何度も見てきた風景の変わりようを見たときは愕然としました。

写真を撮る気にもなれず、ただ泣いた記憶があります。

Img_1368

出来ることは募金くらいかなと、チャリティ販売をしたり、微力ながら一年間オークション売り上げの5%を、一年後からは原発事故で置き去りになった動物たちのために募金をしました。

放射能問題にも過敏になりましたが、今はすっかり忘れています。

風化させちゃいけないとか、忘れないとか、まだそんな風にも思えない。

いろんな意味で復興中なんだよね。

終わってないんです。

|

« ちょうげんぼ | トップページ | 春色オーダー »

日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2084276/64378810

この記事へのトラックバック一覧です: 3.11:

« ちょうげんぼ | トップページ | 春色オーダー »